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9/22の史跡めぐり
22日、一人で早め(と言っても16:30頃)に会津入りしたので
あまり人いなそうな史跡に行きたいと思って
ちょっと無謀かと思ったんですが、如来堂に行ってきました。

如来堂は、市街地から離れてるので、車で行くのが一番良さそうなんですが
去年、レンタサイクルで如来堂に行った(というか連れて行ってもらった)時に
如来堂に向かう道、両脇の田園風景が、とっても良かったので
今回もそこをちゃんと見たいと思って、バスと徒歩で行くことに。

最寄のバス停、「黒川」で降りてから、ひたすら歩きました。
1本道だから、すぐ分かると思ったのに
途中で左折しなきゃいけないところを、どんどん直進しちゃったりして。
工事現場で警備してたおじさんに道を聞いたら
同じ道を戻るのではなく、ショートカットで行ける道を教えてくれて。
会津の方は、やっぱり親切ですねー。ありがたかったです。

で、ようやく標識が。
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一面の稲穂。風も吹いて、爽やか~。
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時々車が通る程度。
真ん中奥にある森の中に、如来堂があります。
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右上写真の道を、ずっと真っ直ぐ歩いてたら、また標識。
あと100m。左に曲がる。



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道なりに歩いてきたら、また標識。
親切だな(笑)



ようやく、到着。(あと100m地点から、100m無いと思う(笑))


如来堂:新選組殉難の地
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如来堂の戦いの簡単な説明はこちら
斎藤のほかに、脱出を図り生き残った隊士の中で、
確認できているのは
久米部正親、池田七三郎、吉田俊太郎
河合鉄五郎、志村武蔵。


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「史跡 新選組殉難地」碑の裏側。→
土方歳三の名前、山口次郎の名も刻まれてます。
碑の建立当時は、西軍の襲撃で全滅したと
思われていた為、そのような内容になっています。



如来堂。
お堂の中は見えませんでした。
ここで亡くなった方々の冥福を祈りました。
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敷地にある大銀杏。
如来堂の戦い時もこの場所にあったと思われます。

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如来堂は、他より小高い場所にあって、周りは平地。
当時も、周りは何も無かったと思うんですけど
生き残った隊士達は、どうやって激戦地区から脱出したんでしょうか。
しかも、脱出した後、佐川官兵衛の指揮下で
秀長寺の周辺の戦闘に加わっていたのだから
もの凄い精神力ですね。


帰りは、1回通った道だし、もうちょっと近く感じるかなと思ったけど
やっぱり遠かった(笑)

でも、バスの時間まで、少しあったので
バス停近くの、中野竹子殉節の碑へ。
碑は、工場に囲まれた空き地(?)にひっそり立っていました。
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(夜景モードで撮ったら、すんごいボケてた(汗))

バスがもう来るかもってことで、ちょっと焦ってたので
碑に辞世の句が刻まれてるかまでは確認できず。
(もう、周りは暗かった)

手前には、中野竹子の石像もあります。
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中野竹子については、
娘子隊の隊長として西軍と奮戦するも
銃弾を受けて戦死
ということくらいしか知らないんですが
(不勉強でスミマセン)
辞世の句
武士(もののふ)の猛(あつ)き心にくらぶれば
数にも入らぬ我が身ながらも
これを読んだときに、泣けてきちゃってねぇ・・
(今も泣きそう)
女性らしい奥ゆかしさと、
そんな自分でも、会津藩の一員として戦いたい、という
強い信念が感じられます。



【アクセス】(バス利用の場合)
如来堂
会津若松駅より、坂下行きバス(駅の向かい側のバスターミナルから出発)
黒川下車。徒歩20~30分。
中野竹子殉節の碑
会津若松駅より、坂下行きバス(駅の向かい側のバスターミナルから出発)
黒川下車。徒歩5分。
あいづ観光情報館HP観光地図を参照してください。
by pale_blue_331 | 2005-09-28 17:21 | 新選組史跡巡り(会津)
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